2011年08月21日

水神社(みずじんじゃ、大館市長木川南)

DSCF0325t.jpg祭神:不明

長木川南岸に鎮座。
小社ながら、破風の龍が大きく、目につきます。
少々、重厚さには欠けますが。

DSCF0326t.jpg以下、『広報 大館』2003年2月1日号より抜粋
  「通町の「水神社」は、昔からこの周辺一帯が水害に見舞われたため、洪水から町を守るために祭られていたと伝えられています。」
  通町=小字または旧町名
未確認ですが、羽州街道の渡し場が近い様な気がする。
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観音堂有浦神社(大館市有浦4丁目)

DSCF0320t.jpg祭神:観世音菩薩(多分ね)

万治年間(1658〜1860)には、お堂が有ったようだ。
少なくとも明治四十四(1911)年には、有浦神社と称されていた様だが、どこをどう見ても、観音"堂"。
社頭の「ご由来」にも神社的な要素は無い。
有るのは、新しい社標の「観音堂有浦"神社"」のみ。
ただ、「神社」と書いてある以上、反応する(名目至上主義)。

以下、由来書きを、大胆に纏めてみる。
天正末期(末年=1592年)から当地が開墾され、その過程で菩薩像が掘り出された。
パターンに従ってはいるが、なかなか気性が激しい菩薩ようだ・・・。
万治のお堂は、かなり立派なものであった様だが、このお堂の建立後、水害、害虫による凶作が続き、当観音に祈願したところ、夜半に一大震動がおこり、お堂の造作が全て吹き飛んだ。
その後、修理もせず、ほっておくと、それ以降、豊作が続いたため、以後の建替に際しても吹きさらしのお堂とした。

まあ、シンプル好きってところは好感が持てるが、希望の伝達手段は要再検討だろう。

なお、大館神明社の御由来によれば、明治四十四年、有浦神社(有浦の観音さま)を、合祀しておりますと。

では、ここに有るのは何?
当社社頭の御由来には、合祀の話は一切出てこない。

-----
お社・・・いや、お堂は、シンプルなもの。
格子から覗くと、金色の観音像が目に入る(そう古くはなさそう、本物は、合祀され移動した?)。
お堂の前に近年少々大き目の東屋を追加してある。
ほどほどに手入れされ、良い感じ。
観音様的には満足だろう。
ただ、手水舎の水盤に「友愛の泉」と彫ってあるのには、舌打ちしている気がする。

即売会場から一番近い。
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2011年08月19日

二渡・日吉神社(郡山市安積町日出山2丁目)

DSCF0256t.jpg祭神:?(二渡神社)
   山王大権現(日吉神社、扁額が「山王大権現」なので)

創建は不明。昭和三十九(1964)年当地に遷宮。

本社は、地図により「二渡神社」、「日吉神社」と異なった社名で書かれている。
また、一の鳥居の扁額は「二渡神社」、二の鳥居は「山王大権現」となっていた。
北関東・南東北のローカルチェーンである「二渡神社」が、全国チェーン「日吉神社」と個別店舗ごとのフランチャイズ契約を結んだというところか。
(二渡の名前って、意外と合祀に強く、ここのようにダブルネーミングを持ってる事が多いように感じるんだけど?)

DSCF0258t.jpg本社の特徴は、

-----以下、回想-----
一の鳥居をくぐると、「征露」の安全を祈願した立派な神猿の像が左右に建っています(この表情が、アレなのだが)。
二の鳥居の向こう、一段高い所に、石祠が2柱(「柱」とか数えない?、以下、この2柱を「本殿」と表記)鎮座されています。
そして、参道脇、本殿から見て右には、二十柱に若干届か無い数の石祠が整然と「計画性」を持って並んでいます。
壊れた順に・・・。
DSCF0263t.jpg石祠って、最終的に板を重ねただけの形になるって、ここで初めて知りました。

一の鳥居脇には、庚申塔の集められたエリア。
境内の隅には石仏、石碑の集められたエリア(出来が良いのが多い)。
と、合祀の過程で境内にこういった物が集められるのはよく見ますが、ここまで分類と計画性が考えられている例は見たことが無い(過去に、気にして見たことも無いが)。

経緯が不明なんで、合祀の状況がつかめませんが、私としては
「区画整理事業の清華」
で有ると判断し、夜は近づきたくないな、と。

-----以上、回想終り-----

DSCF0272t.jpgうっ。鳥居が2本とも無い。
遠目にも、本殿のうち、1つが見えない。
参道を進み、本殿前にて頭を下げると、片方は崩壊。
ただ、各パーツがばらばらになった程度ですので、欠けた部分はあるでしょうが、再度の組立は可能かと。
(さすがに、自分でやる気は無いな。腰が壊れる。賽銭は若干多めに置いてきたけど。)
で、残った本殿の写真を撮ってると、なんだか違和感。
・・・・屋根の角度が。
よく落ちずに、これだけ角度が変わったなあ。
二渡・日吉のどちらが、崩壊しなかった「有難い」方かは不明。

DSCF0296t.jpg本殿前から二の鳥居を見る。
画像では分からないかもしれませんが、実物を見た印象は、車に潰されたカエル(ちょっと、頬が緩んだ)。
(一の鳥居は、安全上か、参道脇に片付けられていました)
右手の石祠群は、無事な祠もありますが、屋根が前方に結構飛ばされてます。
走ってサークル島の角の机に体当たりした感じ(うちは、各種1,2冊しか積んで無いから大丈夫。積んでるところは、みんな崩れてしまえ!)。
某震源地の人は、この時のイメージが動画で見える様だと言ってましたが・・・・見たい。

今回郡山で参拝した神社では比較的大きな被害。でも、壊滅的でも無く、中途半端。
さすがに、私が見込んだ神社だけは、あります。
前回来た時、もっと写真を撮っておけばよかったと後悔。
まあ、再び参拝する事になろうとは思ってもいませんでしたが。

DSCF0285t.jpg画像上から
 1.本殿の様子。
 2.無事だった方(屋根に注目)
 3.本殿基壇上から、二の鳥居を見下ろす。画像の中央右手にある石灯籠(細腰で好き)。近づくと台座がずれているのが分かった。よく崩れなかったな。有難いことです。
 4.猿の像。台座には、隙間が無かったはず。封印されていた何かが這い出た跡か。アップにすると苦しむ男の顔が・・・イヤー!。
 5.一の鳥居の残骸。
 6.仏像エリアにて。・・・ブロッケン伯爵。
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2011年08月17日

宇倍神社(郡山市喜久田町堀之内向原)

DSCF0242t.jpg祭神:武内宿禰命

明治十六(1883)年、因幡・宇倍神社の御分霊を奉祀。

この辺りは鳥取藩士の入植が有った様で、地元の宇倍神社を分祀。
DSCF0238t.jpg地震の被害は、灯籠は一基壊れた程度。
ただし、大き目の灯籠だったせいでしょうか、完全に粉砕されています。

こちらは、社殿・境内とも堂々とした感じ。
DSCF0255t.jpg境内が大きいせいもあって、先に見た豊受神社がやさしい感じなのに対し、ちょっと厳しい感じを受けました。
この神社横は、ため池となっています。
かなり改修の手が入っていますが、開拓時代に作られたものでしょうか。

ただね、卸団地の敷地がすぐそばまで来ているんで、農村的な風景とは言い難い。

願わくば、飲み込まれませんように。
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豊受神社(郡山市喜久田町松ヶ作)

DSCF0216t.jpg祭神:豊受大御神

明治二十四(1891)年、伊勢外宮の御分霊を奉祀。

この辺りも卸町神社と遠くないこともあってか、廃藩後、土佐藩士の入植が有った様で記念碑が建ってました。
地震のためでしょうが、灯籠は全滅。
ただ、見た目の被害はそれぐらい。
この程度なら、やがて元に戻るでしょう。

DSCF0230t.jpg遠目に、田んぼに浮かぶ島のように鎮座していました。
日差しは強いものの、吹く風も心地よく、揺れる稲も涼しげ。

木が周囲をまばらに取り囲んでいるんで、明るい境内です。
そこそこ手入れされた境内の中には、社殿と脇に少しの遊具。
DSCF0231t.jpg真直ぐでは無いけど、スーと延びた参道の先に鳥居が一基。さらに先には青々とした田んぼ。
ちょっと、碑文が多すぎるきらいもありますが、まあ、良いでしょう。
割と好きな感じ。

末長くこのお姿で。
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卸町神社(郡山市喜久田町卸1丁目)

DSCF0203t.jpg祭神:(調べてない)

この神社が鎮座する卸団地が開発された時に、産土的位置付で建立したものでしょう。
卸団地を構成する共同組合が昭和四十六(1971)年設立ですから、その位の鎮座かと(開発開始は、昭和四十年の様ですが)。
鳥居の銘には、卸と流通の共同組合名が入ってました。

即売会の会場のほぼ隣にあり、この会場である展示場とともに、卸団地の共有空間的位置づけと思われます。
境内が公園に・・・というよりも、公園の一角に鎮座してると言うのが正確なところ。
神社前方と横は芝生(育ちすぎ)を植えた空間となっており、明るい感じです。
この神社のある公園の入口には、土佐藩士の入植の碑が建っています。
まあ、それだけで・・・。
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2011年08月04日

高石稲荷神社(郡山市方八町一丁目)

DSCF0172t.jpg祭神:?(稲荷だし)

方八町鎮守
鎌倉時代の創建?
伊東祐長の氏神(工藤祐経の三男、安積伊東氏の初代)

7月第1週に参加した即売会会場に一番近いと思われる神社。
両脇を民家に挟まれるように赤い鳥居が建っています。
正面には民家?の様に見える建物。
ちょっとしまったかなと思いながら、境内に北から入る参道を進むと、右手に社標、左手には、「旅順陥落記念 献木吉野桜」の石碑があります。
明治三十七八年戦役の石碑は幾つか見てますが、「旅順陥落」だけの物は初めて見ました(桜自体はもう無いようです)。
家の前で右に曲がると、東面する形で社殿がありました(家の様な建物は地区集会場)。

拝殿に向かって右手に、手水舎。水盤は、大き目ですが、立方体ではなくて、手のひらを上に向けた様な感じ。
手水舎の建物は、コンクリート製の無骨な物となっています。
まあ、水を張って無いんで、使用はされていないのですが。
拝殿左右には、丸顔の狐。
狐の手前に立つ灯篭の安定が悪いようで(地震のため?)、それを囲む黄色と黒のロープが、左手の狐の足の間を通してあるんで、護ってるようにも見えます(頑張れ)。
その後ろには、明治三十年植樹の乳銀杏が御神木として植わっています。
高さは無いですが、幹全体に葉が生えまだまだ元気なよう(暑苦しい・・・)。

DSCF0181t.jpg社殿は、境内なりのそう大きくないものですが、バランス良い大きさ。
落ち着いた感じで良い雰囲気でした。

拝殿横の石碑のいくつかが半分倒れた状態に。
それでも地震の被害は、少ないようでした。

しかし、ここの「山神」。何とくっつけたんだ?
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2011年07月11日

昆布森神社(釧路郡釧路町昆布森2丁目)

DSCF0146t.jpg祭神:豊受大神、大國主神、事代主神

明治三(1870)年創建(明治三十九年の神社建立認可で、創建の方がいい?)

佐賀藩からの移住民が漁業祈願を祈って祠を建立。
「例祭日が今尚、昆布漁期の関係上10月初旬、7月10日等と変更があった」・・・らしい理由・・・(現在はさらに変更しています。)

-----
DSCF0138t.jpgなんでしょう、この和風ファンタジーな社名。ちょっと、粘つくけど。
昆布「の」森となってないのは、画竜点晴を欠く気もする。
初めて、釧路に来た時、この名前を聞いて興味を持った。
「釧路町」って住所だったんで、てっきり「釧路市」中心だと思ってたんだけどさ。
1時間近くバスに揺られて到着。
霧が出ている中、トンネルわきの坂道を少し上った高台に鎮座。
道は新しく舗装された様で歩きやすい。
参道の階段を上がり、参拝。
拝殿は、新しい(取り立ててこれといったものも・・・)。
拝殿から、鳥居を眺める。
鳥居の先には昆布森漁港が見えると思われるのだが、霧のため見えない。
ただ、ウミネコの声が聞こえるのみ。
境内の脇には蕗の葉が茂っている。花も咲いてる。キレイというよりは可愛い感じ。

・・・ん?、北海道、ファンタジーな名前、コンブモリはアイヌ語の転訛らしい(後付けの知識)、霧、蕗・・・。
集まった単語から判断して、蕗の下に何か小さなモノがいて、私を迎えてくれるはずだ。
見つけれて、本土に持ち帰れば、一攫千金。

まあ、ファンタジーの扉は、一見さんの私には、重く堅い物でしたが。
次こそは。

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DSCF0144t.jpg釧路町役場様「釧路町観光ミュージアム」より抜粋
http://www.town.kushiro.hokkaido.jp/kankou/html/drive/sea/nandoku/05konbumori.html

「従来コンプモイをとって昆布の湾と解釈してきたが、地形を見ると湾より浦が適切であるようである。参考までに古文書から地名を拾ってみると、コンツヲウリ・コンフイ・コンムイ・コンプムイ・コンフムイなどと呼ばれている。コンムイ、コンフイを直訳すると昆布の場所、コンツヲウリは潮流や浪の速いという意味となる。」

釧路町サイトの「ゆるキャラ」が、まあ、イタイ。作ればいいってもんでも。
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2011年07月08日

六軒町諏訪神社(館山市北条)

DSCF0112t.jpg祭神:建御名方命、品陀和気命・市杵島姫命

創建は、不詳ながら、享保九(1724)年に諏訪講を作ったとあるので、それ以降だろうと。

街中の神社としては、そこそこの広さ。
ただ、本殿と末社が近かったり、その他の設備もあって、なんだか雑多な感じがします。
本殿は、コンクリート製。
数段高くなった所に鎮座しています。

設備の中に、水琴窟があり、耳を近づけて聞けと。
へぇ、これは、予想外のものが(雨が近づいていたためか、この日はいまいち)。

あと、表の看板にある煽り「旨い!お諏訪様の天然水」(湧き水かな?)。
「楽しさいっぱい、ご利益いろいろ」(うーむ)
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(鶴ヶ谷町)稲荷神社(館山市北条)

DSCF0101t.jpg祭神:(稲荷って社名だし)

創建は、明治元(1868)年7月から明治四年(1871)年7月の間

安房高校の横に鎮座。
ここも綺麗に南面しています。
稲荷神社としか社名が出てこないんで、横にあった町内掲示板から「鶴ヶ谷町」と仮につけてみる。

明治元年に駿河から転封(こんな時期に大変だ)してきた長尾藩の陣屋が当地に作られ、その時に旧領(静岡県藤枝市)の城内から遷座されました。
廃藩後も旧藩士が葵恩会を結成して神社を維持したそうです。
そういえば、地味な小社ながらも、風格があるような。
扁額は、「本多正(敬)」書(多分「敬」だと思う)。藩主であった、本多氏の一族のようだね。
ある意味、何もない神社なんですが、落ち着く感じ。

境内には、大砲の碑があるらしい(未確認)
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北町稲荷神社(館山市北条)

DSCF0091t.jpg祭神:(稲荷って社名だし)

最近、新しく改築したようで、何もかも新しい小社。
この敷地の中で参道を曲げなくてもと思いましたが、南面させてあるのか。
社の中には、北条村北町中で奉納した稲荷の石宮を鎮座させている様です。

鳥居、狐、社殿と綺麗に一新した神社ですが、井戸も一新したみたい。
ここまで徹底してるのも珍しい。
まあ、新しい分、面白味はないんですが、この徹底ぶりが逆に気持ちいい感じでした。

社殿後ろにベンチがずらっと並んでるんだけど・・・そこが若干不思議な感じ(公園がわりだと思えばいいかな)。

この付近は、古墳時代から奈良・平安時代の土師器などの土器が出土する遺跡だそうで、「稲荷遺跡」という模様。
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鶴谷八幡宮(館山市八幡):ツルガヤ

DSCF0053t.jpg祭神:誉田別命、帯中比古命、息長帯比賣命

安房国総社
県社
養老元(717)年創建(由緒板)、平安中期創建(千葉県神社庁のサイト)
三鶴八幡の一社(鶴岡、鶴峰)

市中心部に、ほど近い大きな神社(会場にも一番近い)。
広い境内にアスファルト舗装の整備された参道。
参道を歩くのも気持ちが良いくらい(交通量の多い道がそばなんで、静けさはそれほどでも)。
本殿は享保四年(1719)の建立ですが、拝殿は昭和四(1932)年の再建。
それでも、参道入口から真直ぐ先から見える姿は、綺麗です。
社殿は、西面。真直ぐ海に向かう形。
昔は、そのまま、海が見えたような気がします。

拝殿向拝の格子天井には、「百態の龍」として、中央の「鏡天井の龍」を中心に五十四態の龍が彫られています(文久−慶応の作)。
なかなかすごいんですが、カメラの望遠か何かで拡大して見ないとなにがなんだか。
大きめの狛犬も丸っぽくてかわいい。
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2011年03月29日

石浦神社(金沢市本多町3丁目)

P3060001t.jpg
祭神:大物主神、大山咋神、天照大神、菊理媛神

式内社論社(三輪神社)
伝天平年中(729〜748)、市内最古の神社
県社
加賀国石浦村始め七ヶ村の産土神
金沢城地の土地神
明治2年(1869)石浦神社と改称(それ以前は、石浦山王社或いは地主権現で別当寺があった)
明治13年(1880)、現在地に遷座

市内中心部に鎮座し、兼六園、金沢城のそば。
私的には、金沢の神社と言えばここかなあ。多分、私の中では神社というモノの基準。
まあ、金沢の神社の中で写真写りは、尾山神社の方が良いけど(ダークサイドは、○丸神社)。

ここの前の道は良く通るんだけど、久振りに参拝した。
子供のころはそばに住んでいたんで、よく来たんだけどなあ。
昔から変わった印象はない。いつ来ても懐かしい。
手水屋の上に謡曲の曲名が書かれてる。私が最初に通った小学校の校下にある公民館の謡曲教室が奉納してる。
(「校下」ってやっぱりIMEじゃ変換されないのか。昔、この単語が方言であることを知って、かなり驚いた事があった。)

おや、あの彫刻は何だろう。たまに来ると気付くものは色々有るもんだね。
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2011年03月28日

出雲神社(苫小牧市錦町1丁目)

P2270007t.jpg
祭神:(きっと)大国主大神

1911年建立。
付近の商店街の産土と思われる。
ネット上に、この神社のお祭りを中心に「中心市街地活性化」について扱った修士論文があった。
2003年レベルで、祭りに参加する子供が少なくなってきている様子がうかがえる(この年の祭りは、活性化に向けた試みがなされ、参加者が多かったようだが)。

駅の地図に書いてあった神社にきたのですが、宝くじ売り場で落胆。
ただ、そのそばに「いずも公園」というのがあったのを覚えていたので、駄目もとで行ってみると、有りましたよ。
鳥居は新しく立派ですが、社殿はちょっと古めで、ブロック塀に囲まれ、人を寄せ付けない感じ。隣は荒れた公園。
P2270002t.jpg
近づいて塀の中を見ると、白いお社とその脇に「三吉大神」の円柱形の石碑。
あと、素朴で味のある狛犬が一対。
近づいて見たいなあと思うも、ブロック塀に阻まれ叶わず、境内を後にして、即売会会場に戻りました。
小さくて、寂しげな神社ですが、街中から苫小牧の栄枯盛衰を見て来て、なんかドラマを背負ってそうな感じ。

こんな話もあるみたい
苫小牧民報社 WEBみんぽう 様
「市有地に7神社 対応求められる苫小牧市」
http://www.tomamin.co.jp/2010t/t10012104.html
この記事に出てくる出雲神社がここかどうかは不明ですが、この神社の様に思われます。
樽前山神社の敷地って、市有地なんだ。。。
いや、理想郷神社ってなんだ?・・・見に行きたい。
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2011年03月27日

日吉神社(久留米市日吉町)

P2200123t.jpg
祭神:大山祗大神

治承年間(1177〜1184)には、既に祀られていたそうで、正保4年(1647)現在地に遷座。
藩政期には、久留米宗社と言われていた。
境内には、産霊宮(うみのみや)や、筑後稲荷10社のうちの大乗院稲荷神社が鎮座している。
他にも、月読宮など多数。

P2200093t.jpg
久留米宗社と呼ばれるにふさわしく、街中の神社としては、かなり堂々としています。
産霊宮は、鈴紐の赤色と、紋の入った幕の赤地が、鮮やか。
思い返しても「赤」の印象が強いですね。
神木として夫婦銀杏があったりと、めでたい神社でした。

写真(上):神社正面
写真(下):産霊宮
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日吉神社(久留米市城南町)

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祭神:大山咋命、大物主命、有馬頼元公

寛永13年(1636)建立
神職の間では、他の日吉神社と区別するため、「駅前日吉神社」というらしい。

それほど広くない境内に、日吉神社と境内内末社が8社鎮座しているんで、ちょっと狭いかなとも思われますが、その分賑やかな感じの神社です。
日吉神社前の狛犬の台座には文政3年(1820)と彫られてますねえ。
境内内末社の主だった所では、三柱神社、月読神社、青面金剛社、恵美須神社、藤の森稲荷神社。
恵美須神社の祭りは盛大なのかな?
「十日恵美須祭」と書かれた大きな恵比須の顔の張りぼてが境内隅にありました。
口のところに穴が開いているんで、通り抜けとかするんでしょうか?
青面金剛社の石造青面金剛像は有形民俗文化財に指定(県の指定?)されているようで、ガラス越しに見られるようになっています。

まあ、いろいろと楽しげな神社でした。
あと、境内の入口わきに建つ、猿田彦大神の石碑前の狛犬が小さくて可愛い。
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祇園神社(久留米市城南町)

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祭神:素盞鳴尊(境内に素盞鳴尊神社と書かれた碑があるため、そうじゃないかと。)

貞観17年(875)創建か?
久留米三大祭礼の一つ祇園会が毎年行われたらしい。

即売会会場の久留米市民会館に一番近い神社。
鳥居をくぐって、10mほど進み、右に90度曲がって進むと拝殿正面となります。
境内に木がほとんどないため、外からでもよく見えます。
なかなか立派な拝殿。
境内を見渡すと、ん?何か違和感。
天保13年(1842)に造られた狛犬も大きくて立派・・・阿形の顔が半分ないけど・・・。
戦争中の爆撃で神社に被害が出た、との文が、切断面に彫り込まれています。
被害を受けたらしい狛犬は見たことが有りますが、こんなのは初めて見た。

P2200015t.jpg
境内は隣の保育所の施設も兼ねている様で、舗装された参道のギリギリまで遊具類が設置されています。
江戸期のものと思われる大きな水盤(使われてはいない)が、白い長方形のプランターと並んでたりと、ちょっと変わった光景になってます。
拝殿の中を除くと、中にはお神輿とか獅子頭が置かれ、ちょっと物置化してる。
まあ、お祓いとかに使われる神社ではないので、良いかも。
と、後ろを振り向くと参道脇にある、のほほんとした恐竜の遊具と目があった。
うーん、変な感じ。

ちょっと、ほのぼのした感じの神社でした。
あと、境内の恵比須像が怖い。
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2011年03月26日

大和神社(上越市大和二丁目)

P2110021t.jpg
祭神:調べてない

調べてないんで、詳細不明。
今泉城(館的なもの?)跡に建てられているそうで、境内には南北朝から戦国にかけての石仏があるらしい。

「うわっ」
拝殿前の雪は除かれていたものの、横の雪は積もった状態だった。
でも、雪の上に登るとある程度固めてある様で、後ろの小祠を見に行くことは出来た。
ただ、ちょっと踏むところを間違えると、ずぼっと膝まで雪の中にもぐりこむ。
落とし穴に落ちた様な感じ。
P2110013t.jpg

拝殿は、小振りながら境内の幅と良い感じの比率。
金字の扁額が映えるねえ。
手水屋の屋根の彫刻も細かい。狛犬と孔雀と鶴。
社殿のある敷地を出ても、参道が細く長く続き、2か所ほどで車道と交わっていた。
一の鳥居から見ると、ずいぶん先に杜が浮いているように見える。
なかなか、感じの良い神社でした。
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五社神社(上越市大字岡原)

P2110004t.jpg
祭神:調べてない

調べてないんで、詳細不明。

参道が雪に埋もれていて、進めないんで、鳥居の外から参拝・・・様子だけ見る。
あとで、地図を確認すると、反対側にも道がある様なんで、そちらからの参拝は可能だったかも。
まあ、しょうがない。
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2011年03月25日

大山神社(北海道室蘭市大沢町)

P2060230t.jpg
祭神:大山祗大神

昭和の初めに創建。平成16年(2004)、廃社(輪西稲荷神社の相殿となる)。
元は、炭火焼や採石の人々が、石に「大山の神」と刻まれたものを祀っていたようだ。
(輪西稲荷神社由緒書きでは、「大山の神」となっていたが、輪西稲荷神社にあった石神のなのかなあ。そうすると「山神」なのだが?)

つづらおりになった山腹の道を歩き漸く到着。
細く急こう配の参道の先に鳥居が見えます。
廃社になってはいるようですが、鳥居はそのままの様です。
さて、参道を上ってと思うも、道には笹が覆いかぶさり、上るの大変そう。
この調子では、雪も積もってそうだから、危ないな。
止めておこう。
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