2012年03月07日

20111120 金刀比羅神社(長崎市西山1丁目)

DSCF1157t.jpg祭神:大物主大神
  崇徳天皇
相殿:菅原大神

由来板には、弘仁年間(810〜824)に神宮寺が建てられ、明治維新後、現社名になったとあります。
ただ、その前段に、宝永二(1705)年、讃岐より金比羅大権現の分霊を祀ったとありますから、その前は何を?と思うのですが。
古くは、鎮座するこの山を瓊杵(にぎ)山、崇嶽(たかだけ)といい、天孫降臨伝説が有るそうですので、天津神を祀ったのでしょうか?
江戸時代から、長崎奉行はじめ一般の信仰が厚く、特に長崎在住の華僑が海上交通の安全と貿易の隆昌を祈ったそうです(以上は、拝殿前の由来板によった)。

DSCF1160t.jpgこの神社の起源は、百済の琳聖太子が山上に香をたいて北辰を祀った故事に由来するとも。
(ちょっと離れたところにある。環境庁と長崎県の建てた説明板。ここにある遊歩道の説明の一環として建てたと思われる。
こちらでは、この社を「金比羅神社」としている。年代、崇拝者の部分はほぼ同じ。)

社名は、金「刀」比羅神社が正しいようです。
鎮座する山は、「金比羅山」といい、社名と表記が異なります。
山頂には、上宮があるらしい(が、見なかったことにする)。

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DSCF1141t.jpg天孫降臨の地がなんで、ド国津神の大物主を・・・。まあ、いい。
琳聖太子を持ってきたのも気になるが。大内氏領に近いと言えば近いが・・・。まあ、いい・・・。いや、なんかつっかえてるな。

(ひたすら登りに登り、息も絶え絶えに、ようやく一の鳥居までたどり着く。)
鳥居の建立年が正面に彫られています。
「大清光緒拾二年・・・」(1886年)
おお、長崎っぽい。
しかし、「光緒」って綺麗な年号だよなあ(負け続けですけど)。

DSCF1133t.jpgその先の木々の間を進む参道は、薄暗く、緩やかながらも上り坂は続く様で、気分は晴れない。
いや、もう限界だって。

意を決して進む。
なだらかな坂は間もなく終わり、参道は、平坦な切通しの道となる。
本来の目的地は、その道を進まず、右の坂をまた登るのだが、今は真直ぐ進んだこととする。

切通しを抜け、開けた明るい場所に出ると、シンプルながら、綺麗な拝殿が迎えてくれます。
狛犬も良い具合に苔が付いているなぁ。
拝殿に参拝し、横の道を進むと、本殿と拝殿が10数メートル離れていることに気が付きます。
本殿と拝殿の間は、小さな庭園の様。空の川と橋も設けられてます。
こちらとは、玉垣によって仕切られていますが、良く見え、清々しい感じ。
本殿前の狛犬は、すくっと綺麗な立ち姿。

DSCF1129t.jpgなかなか、良い神社ですね。
長崎は、諏訪神社や淵神社、もしくは山王神社の方が主流の様にも感じますが、足を延ばして、ここに参るのも魅力的だなと思います。

写真1:右の柱に「光緒」と。
  2:裏から来た道を眺めてみる。
  3:拝殿
  4:拝殿to本殿
  5:本殿
posted by Oz at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社
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